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HAEと一緒に

医師の声

埼友草加病院 腎・透析内科 大澤 勲先生

HAEの患者さんの多くの方は、長い間、診断がつかずに「自分の病気」へ不安を抱えてきました。最近ではインターネット上の情報が増えてきたことで、患者さん自身や家族が積極的にHAEという病気を知り、医療機関を受診されています。そのため診断がついたHAE患者さんは年々増加しています。

「HAEの診断がつけば、発作時の治療薬があるんですよ」
とお話しをするだけで、精神的ストレスから解放されたのでしょう、発作が激減する患者さんが何人もおられます。

腫れるきっかけと知られている、手術や出産、歯科治療の時にも治療薬の準備が整っていればさらに心強いそうです。主治医は患者さんと一緒になって発作がなぜ起きるのかを探り、1人1人に合った適切なアドバイスをしてくれるでしょう。

これからは、迅速に治療ができる体制はもちろんのこと、全国どこへ行っても治療できるような診療ネットワークづくりの充実がポイントになってきます。患者さんが少しでも安心して暮らせる環境づくりの充実に向けて、医師と製薬会社、患者会が知恵を絞っているところです。

Aさん(30代女性)

診断されるまで

9歳の頃から非常に激しい腹痛と嘔吐を繰り返し毎月入院していました。原因不明で絶食と点滴をするしかすべがなく入院のたびに体重が減り、学校へ行くだけでも疲れていました。その後大学病院へ紹介され補体値が低いことはわかりましたが、脳や胃腸・婦人科系など何も異常はありませんでした。そんなある日、海外の文献からHAEかもしれないと告げられ遺伝子検査を実施しました。

診断された時

当時私は14歳で遺伝子検査を両親家族もしました。病気がわかるかもしれないという期待と同時に両親が原因かもしれない、家族も同じ病気なのかという不安でいっぱいでした。結果私だけHAEでしたが、正直心の中では安堵した記憶があります。 

これまで

HAEと診断された後も他の患者さんを知らず医師と手探りで治療をしていました。学校で病気を説明すると逆に不安がられ修学旅行は両親同伴で行きました。行事前後に入院することも多く精神的なものと誤解されたこともあります。また腹痛の他に手や唇、喉頭浮腫により窒息死しかけたこともあり、進学や就職先の選択は大変悩みました。いつ起こるかわからない発作の不安と死の恐怖で心から安心して眠れるような日はありませんでした。

HAEを知る医師や患者さんとの出会い

結婚後初めてHAEを知る医師に出会いました。それまでHAEについて知っている医師に会ったことがなくその驚きと喜びは忘れません。また交流会で国内だけではなく世界中に患者さんがいることを知り、彼らに会った瞬間「同じ遺伝子を持つ」家族のように感じました。具合が悪いことを自然に話せる彼らの存在は大変心強く、今では安心して眠ることができます。

HAEを研究してくださる先生方がいること、同じ病気の人がいること、自分もその一員であることの感謝と希望は私の人生を大変前進させてくれました。HAEは普段元気に過ごすことができます。どこであれ、適切な治療を受けられるようになることを願っています。

Bさん(60代男性)

遺伝性血管性浮腫(HAE)と診断がついて、うまくHAEと付き合えるようになりました。

診断がつかず苦労した体験

もともと腎臓が悪く、機能低下に伴い透析をするようになりました。その頃から、突然お腹が痛くなるようなこともありました。お腹が痛くなる頻度は、ひどいときで2週間に1回程度で、その痛みは錐で刺されるような激烈な痛みでした。腹膜炎疑いとなりましたが原因は不明でした。

ある時のこと、お腹が痛くて入院していたとき、夜中に目が覚めて、気がついたら舌にタラコが乗っている感じでした。舌が腫れていて、しゃべってみると、『うまく話せない』。

初めての経験だったので、どういう状況になっているのか理解できず、医師に診てもらいました。しかし、医師に診てもらっても原因がわからず、とりあえずは様子をみることになりました。それから、どんどん腫れてきて、3時間くらい経ったら、気道が狭くなるまで腫れてきました。その時も何の病気かはわかりませんでした。

診断について

ある時、また舌が腫れて、違う病院の先生に診てもらったら『遺伝性血管性浮腫(HAE)じゃないか?』と言われて、やっと診断がつきました。診断がついた今では、内服のお薬でうまくコントロールできるようになりました。

遺伝性血管性浮腫(HAE)との付き合い方

喉や舌が腫れると、声がでないから自分の意思が伝えることができないし、伝えられても病気のことを知らない人の方が多いから、どうしていいか分からないことがあります。だから、医師に書いてもらった診断書をいつも持つようにしています。いつ発作(腫れる)が起こるか分からないし、外出している時とかに何かあっても、これを持っていれば診療できる病院に行けると思うと安心です。この間はC1インヒビター製剤で治療できたので、入院しなくて良かったのは喜びです。

HAEと診断されることも大事だし、診断されたら、「私はHAEですよ。」「私はこういう治療が必要なんですよ。」って示せるものを常に携帯していることは大事だと思います。

Cさん(20代女性)

母親の毎日の日記記録で、ようやく病名がわかり毎日が安心して暮らせます。

つらい小学校・中学校時代

小学生の頃、急におなかが痛くなり食欲の無い日が時々ありました。
また、運動場でソフトボールがぶつかった時、絶対このあと腫れると思ったけど、学校の先生はどうせ理解してくれないだろうと、家に帰ってしまったことを覚えています。

中学校では、おなかが痛くて、食べたり飲んだりできなくて、気持ちが悪かったことをよく覚えています。近くの病院に入院しましたが、理由が分からないまま2-3日で退院していました。
痛いのもあるし気分もぐったりして、しゃべるのも嫌な感じでした。お腹にくると多くて夜中に5-6回くらい吐いていました。今思えば、胃が腫れていたのかもしれません。

診断について

13歳のとき、抜歯をした翌日に頬がみるみる腫れてきました。この時、祖母と同じ病院を受診していたので、クインケ浮腫の1つで遺伝性血管性浮腫(HAE)という病気かもと、歯科医に疑ってもらえたことが本当に良かったです。

結婚と新しい生活

昨年の結婚では、腫れやすいこの病気が1/2の確率で遺伝することも分かっていましたが、私も旦那さんもそんなに気にしていません。
それよりも、今はトラネキサム酸というお薬で発作が1年くらい起きてないのでとても気分が楽です。
最近では、原因がわからないというストレスから開放されたんだと思います。会社に入ってから全然休まなくなったことは私にとって大きな喜びです。